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考えるな!感じろ!
ってどうい うこと?
って 考えるじゃん!
誰かと比較したり、世間の定義する成功と比較したり、
自分にないものを埋めようと、毎日何したらよいか考えてる。
でも、何をしたらいいのか、何をしたいのかもわからないでいる。
それはそうだ、そんなこと意味がないからだ。
だって、年収10倍、海外移住した人の体験を真似たところで、
あなたは本当にそれを求めているのか?
俺は、気づいたことがある。
質素な朝食を自分で作り、その美味しさを感じ、
食器を片付けるまでの時間が、毎日あるのとないのとでは、
心の豊かさが全く違うと。
それは、考えるのでなく感じる時間であるということ。
何かを埋めようとするのではなく、
何でも感じることが大切だってことを、書いていきたい。


他人のながら歩きを見て気づいた、自分が感情から逃げていたということ
朝の駅。 歩きながらスマホを見てる人たちの間を抜けていく。 みんな下を向いてる。 SNSを追ってる指もあれば、天気予報を見てる指もある。乗換案内を眺めてる奴もいる。 役に立つことを調べてる人も、案外多い。 でも、見ていて思う。あれは情報が欲しいんじゃないんじゃないか。指を止めたくないだけなんじゃないか。 SNSに飽きる瞬間って、来る。それでも下を向いたまま、今度は天気予報を開く。 もう何度も見た今日明日の天気を、また見る。 SNSほど後ろめたくないから、逃げてる感じもしない。 俺にはそう見えた。ただ、そう見えただけだ。あの人が本当に逃げてるかなんて、わからない。 わかるのは、俺も同じことをしてるってことだ。 一人でいると、内側から何かが湧いてくる。それを無視して、スマホを手に取る。外から何かを得ようとする。 というより、何かから逃げようとする。 でも、外をどれだけ探しても、無い。あるはずだと期待して探すのに、無い。答えは、外にはなかった。 本当は、わかってる。 扉の向こうに在ることは、わかってる。でも、開けなかった。 スマホに手を伸ばすのをやめて

aki
9月8日読了時間: 2分


自炊して気づいた、興奮と幸せは別物だということ
一時期、発酵食にこだわってた。 体にいいからと取り憑かれたようになんでも作って食べた、味噌も納豆もぬか漬けも、とにかく発酵、発酵。 そしたらどうなったか。オナラがやたら出るようになって、腸が張った。 発酵過多なんて言葉があるのか知らないけど、俺の腸は明らかに「摂りすぎだよ」って言ってた。 いいものでも、やりすぎたら余計だ。まずここでひとつ、体に教わった。 そこから食を見直した。 発酵食は続けつつ、食物繊維とタンパク質を意識する。あと、砂糖をできるだけ摂らない。 外の味は、だいたい砂糖を使うから、砂糖を使わない料理をするようになって、自炊が増えた。 気づいたら、痩せてた。 腸を整えて、体を動かす。ほんとにそれだけで痩せる。 自炊を続けてるうちに、面白いことが起きた。 脳が欲しがってるのか、腸が欲しがってるのか、なんとなくわかるようになってきた。 脳が欲しがるのは、だいたい砂糖だ。 甘いものが目に入ると、脳が「欲しい」って騒ぐ。でも、腸はべつにそれを求めてない。 調べてみたら、砂糖はニコチンやアルコールと同じで、脳がすぐに刺激を受け取れるものらしい。

aki
8月28日読了時間: 3分


罵倒されて気づいた、他人の評価で動いていたということ
事業がうまくいってない。税理士にも見放された。この話は前に書いた通りだ。 だから副業で、2年前から清掃のバイトを始めた。50代半ば。いくら人手不足の時代でも、この歳の未経験なんて、なかなか雇ってもらえない。だから「未経験者歓迎」の現場を選んだ。 人手不足で会社が困ってるから、未経験でも歓迎される。でも、現場の人間にとって、何も知らない未経験者ほど、使いづらいものはない。だから、現場では全く歓迎されていなかった。俺にイライラしているのが分かる。 「未経験か?困るんだよな」 「邪魔だ‼︎」 「そうじゃねえよ‼︎」 「あっち行ってろ‼︎」 この時の無力感は、本物だった。小さい頃にクラスメイトから無視されていた時のことを思い出した。その場に存在することが許されないような扱い。何もせず帰った方がマシなんじゃないか、本気でそう思った。でも、そういうわけにもいかない。 相手の望むことを探して先取りして動いたつもりが、「そうじゃない‼︎」と否定される。 じゃあ勝手なことはやめようと、指示を仰ごうとタイミングを探していたら、「ボーッと突っ立ってんじゃない‼︎」と怒

aki
8月27日読了時間: 4分


はじめに(体)
心の「はじめに」で、成り切る・感じきる・行動するの話を書いた。 でも、この三つは、心だけの話じゃない。在り方を据えるのも、感情を感じきるのも、直感を信じて動くのも、全部、体が土台だ。体が滞ってたら、頭はノイズだらけで、どれもできやしない。 俺たちには、体がある。せっかく体があるんだから、正しく体験しないともったいない。心と同じくらい、体でもちゃんと感じたい。俺はそう思ってる。 体には、巡りがある。 東洋医学では、それを気・血・水って呼ぶ。難しく聞こえるけど、たいした話じゃない。血やリンパがちゃんと巡ってるか。第二の脳って言われる腸が、整ってるか。そして、その先にある「気」が、通ってるか。それだけのことだ。 体がちゃんと巡ってれば、気は自然と通る。詰まってれば、通らない。順番はいつも、体が先だ。気を高めようと気合いを入れるんじゃない。血と水と腸を整えたら、気は勝手についてくる。 で、突き詰めると、これは三大欲求の話になる。 食欲、睡眠欲、性欲。人間の、いちばん根っこの欲だ。 俺たちはこれを、たいてい脳の快楽で満たそうとする。砂糖まみれの飯を食う。夜

aki
8月18日読了時間: 3分


新潟で感じて気づいた、用意されてたわけじゃないということ
先週の8/12、東京から新潟に行ってきた。 台風が近づいてて、お盆の関東はどこも雨予報。新潟は晴れだった。だから新潟にした。それだけの理由。 目的は「感じる」こと。これだけ。 たとえば海。今までの俺にとって海水浴場って、正直、海そのものを見る場所じゃなかった。何か始まるんじゃないか、誰かと出会うんじゃないか、そういう下心で見てた場所。そうじゃなくて、ただ海を、海として心で眺めてみる。今回はそれをやりに行った。 というのも、俺には昔からの癖がある。思った通りに動けても、その場で心ここに在らずになる。目の前のことを味わう前に、頭がもう次のことを考えてる。他のことを考えてる。せっかく来たのに、来た場所にいない。ずっとそんな感じだった。 で、新潟。 最初に行ったのは野積海水浴場。ハイシーズンなのに、着いたのが早かったからか、誰もいなかった。その海を、ただ眺めた。雑念がゼロになったとは言わない。でも、久しぶりに心から「嬉しい」と思った。ただ海を見て嬉しい。それだけのことが、俺にはずっとできてなかった。 次に弥彦山の山頂近く。パラグライダーをやる広場があって

aki
8月18日読了時間: 3分


四国遍路を思い出して気づいた、すでに教えがあったということ。
三十代の時に、四国お遍路を歩いたことがある。 弟を亡くして、供養のために始めた巡礼だった。 88か所の霊場を巡りながら、空海が開いたとされる道を、自分の足でたどった。何かを求めていたのか、ただやってみたかっただけなのか、その時は自分でもよくわからなかった。 歩いている途中、弟のことは正直あまり考えなくなっていた。 それは、あの時助けられたのではないかと強く後悔していたし、今思うと恥ずかしいが、事件性がないのに犯人を探すようなこともしていた。 でも、次第に弟を助けられなかった兄であることを認めたくなかっただけだと気づいた。そして、何もできない自分を受け入れた。 弟はそんな俺のことはお見通しで、「やっと気づいたか!」と言われたようだった、それからは不思議と、弟のことは考えることが少なくなっていった。 それからは、区切り打ちでやっていたので、日常と遍路の2つの現実を同時に生きていたようで、歩いている自分が本当の自分で、そのために働くもう一人の自分がいる——そんな感覚が湧いてきた。 ここには答えはないが、日常で関わる人や出来事が、現実ではないような感覚だ

aki
8月6日読了時間: 3分


イライラして気づいた、相手は自分の鏡だということ
一緒に飲みに行く相手がいる。同性の年上だ。 シェアしながら食べる料理が出てくると、そいつがほとんど食べてしまう。気遣いのかけらもない。毎回、イライラする。 俺は小さい頃からいい人でいなければ、と思って生きてきた節がある。だから自分の中にある非常識な部分には、自分で蓋をしてた。見えていなかった。 でもある日、気づいてしまった。 もちろん相手はいない、一人でカウンターで飲んでいるときのことだった。 俺はチョコが好きで、特にウイスキーを飲んでいるときは、チョコが出てくると何度も何度もお代わりする。 「俺もやないかい!!」 相手の気遣いのなさにイライラしていたくせに、自分も好きなものの前では我を忘れて似たようなことをやっていた。いい人でいようとして蓋があったから、自分のその部分が見えていなかった。でも、そのイライラする相手が、気づかせてくれた。 相手は自分の鏡だ、とよく言う。 誰かの言動にイライラするとき、悲しくなるとき、不安になるとき。その感情の裏には、自分の中にある認めたくない部分が隠れいることが多い。いい人でいなければ、という縛りが強いほど、その部

aki
7月16日読了時間: 2分


願いが叶って気づいた、在り方があるかないか
思い返してみると、願ったことは、叶っていることが実は多い。 若い頃、将来は社長になりたい。そう漠然と思っていた。 数十年後、なった。 なってみて分かったのは、肩書きが手に入っても、それだけでは何も保証されないということだった。気づいたらお金を失っていた。仲間も離れていった。さらに税理士まで離れていった。 大変だった、なんて言葉じゃ収まらない。漠然と「なりたい」と願っていたあの頃、こんな現実が待っているとは思わなかった。在り方がないまま、ただ願っていただけだった。 一方で、自分にはもう一つのパターンがあった。 当時、印刷の製版をやっていた。集版やレタッチと呼ばれる、アナログの仕事だ。そこにDTPというデジタル化の波が来て、このままでは仕事が置き換わるという危機感があった。そして、漠然と思っていた「社長になりたい」は、忘れていた。 その危機感を、不安のまま終わらせなかった。興味に変えて、Macを買った。 ただ、学んだのは基本的な操作レベルだった。高くてメモリーを増設できなかったので、当時のAdobeのソフトはまともに動かず、深くまで学べなかった。転職

aki
7月4日読了時間: 2分


無敵になって気づいた、意図して生きるということ
初代バイオハザードに、無限ロケットランチャーという裏要素があった。 ゲームを3時間以内にクリアすると、弾数無制限のロケットランチャーが手に入る。 ただ、その条件を満たすまでに、何度も何度も同じゲームをやり直した。タイムアタックだから当然だ。気づいたら、敵の出現位置もアイテムの場所も、ストーリーの展開も、全部頭に入っていた。 現実そっちのけで夢中になれるくらい、よくできたゲームだったと思う。だからこそ、何度も繰り返した。 いざ条件を満たして、無限ロケットランチャーを手にした。これで無敵だ、と思ったら——期待していたような満足感が、まったくなかった。 むしろ、退屈で仕方なかった。 全部知っていて、何にも負けない。怖さも驚きもない。最強の武器を持って、最強の状態で、何も起きない。あれだけ欲しかった「無敵」が、こんなに味気ないものだとは思わなかった。 俺たちは普段、「あれがあれば」「これがあれば」と思って生きている。 あの資格があれば。お金があれば。身長が高ければ。今、無いものさえ手に入れば、自分はもっと満たされるはずだと思い込んでいる。...

aki
6月28日読了時間: 2分


はじめに
人生は、いいと思うことも、つらいと思うこともある。 全ていいと思う人生を歩んだ人がいるのなら、どうかしているとしか思えない。 じゃあ、このどうしようもなく波のある人生を、どうやって生きていくか。 俺が行き着いた答えは、ものすごくシンプル。 成り切って、感じ切って、行動する。 これだけでいい。このシンプルな生き方が、「幸せ」なのではないかと本気で思い始めている。 「成り切る」とは、在り方のこと。 「〜になりたい」というフワッとした願いではない。願いの裏には「今はそうじゃない」という欠乏感があるから、すぐに他人の目を気にしてブレてしまう。 そうではなくて、「俺はこう生きる」と決めること。 願いではなく、自分の人生の主人公としての「意図」を持つこと。 「感じ切る」とは、自分を認めること。 生きていれば、見たくない感情も湧く。俺たちは無意識にそれに蓋をして、綺麗なフリをしようとする。 でも、潜在意識に押し込めた感情は、何かのタイミングで「ふたするな!」と暴れ出す。 その時は、力ずくで抑え込むのをやめる。思い切って蓋を開け、痛いなら痛いまま全身で感じきって

aki
6月16日読了時間: 2分
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